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2010/06/21

当て馬教

悟ることが苦手な私に、ずっとその辺りに焦点を絞って思念を送ってきていたようで、ようやく私も悟ったみたいである。「本人はダメ」の意味もわかったと思う。つまり、当て馬にはやらせるなということである。当て馬は、雌馬に乗りかかろうとする所まではやらせてもらえるが、乗りかかる前に止められてしまうのである。そうすることで、雌馬の発情を確認するのだという。

今、日本全土が、もしかしたら世界的に入信している宗教が当て馬教なのである。そうして遣りたい対象を発情させるのである。私が想像するに、雌馬よりも、やる気の無い牡馬に発情させる効果の方が大きいのではないかと思った。

当て馬教では、とにかく本人には遣らせないのである。例えば、プログラムを組むのが好きな人がいたら、その人には遣らせないのである。好きな本人には遣らせないので、プログラマの価値が高まるのである。遣りたい人が増えるのである。

それに限らず、仕事があったら、もっとも遣りたい本人には遣らせずにじらすのである。そしてそれ以外の他人に遣らせるのである。最後までじらして、本人が出て行くのである。本人は最後まで遣らせてもらえないことを悟るか、単純にあきらめると出て行くことになる。いや、あきらめたら遣らせるのである。あきらめた時点で本人では無くなるからである。だから出て行く時は引退した時か、あきらめられない時に出て行くのである。

自分以上に遣りたい人がいる時には、少しのやる気があれば良いが、大抵仕事はつらいものになる。辛くするのだろう。

辛くするのもまた、仕事の価値を高める方法なのかもしれない。難しいと思わせる必要があるのだろう。

そんな当て馬教全盛の世の中で、私は自分自身を信じているのである。

追記:
管さんに急遽首相の座が回ってきたのは、管さんがあきらめたからだろうと思う。当て馬じゃなくなったので、遣らせているのだろうと思う。

この当て馬教の問題は、下手をすると教団を滅ぼしたくなる憎悪を蓄積することになるのである。だから当て馬役には、本人(当て馬)の役を降りた時点で、報酬を与えることが多いだろう?蓄積した憎悪をどうやってガス抜きするかが課題だろう。

とすると、歴史的に日本に虐げられてきた朝鮮半島の人達が今興隆しているのは、日本に負けたと感じたからだろうと思う。少なくともそういう一瞬があったのだろうと思う。その一瞬までは実は自分達は優れた民族なのだと思っていたのであろう。だから苦しめたのであろう?そうじゃないかな。同様に中国が興隆しているのもその類だろうか?

本気で負けたと思わないと、虐待から逃れられないのじゃないかな。

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