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April 14, 2011

樹氷式と鋳型式

マイケルサンデル先生の『ハーバード白熱教室講義録』を読んでいる所なのだが、読みながらいろいろと思いついたのだが、そのうちの一つを少しだけここに記しておこう。

人の振る舞いを規制する手法として、樹氷式と鋳型式があると思ったのである。樹氷式とは、何か求心力のある指針が与えられており、それが精神的支柱となって、それに肉付けされていくイメージである。つまりその指針を心に抱いている者は、その指針に向かって振る舞いが形作られるのである。

もう一つは鋳型式だが、これは許容出来る振る舞いを超えた場合に、ペナルティが課せられるという手法である。ペナルティが痛いので、鋳型の範囲内に行動が収まるようになるのである。

素朴に考えて、樹氷式の場合には、振る舞いの形を事細かに規定することは困難であろう。だから樹氷式で育った人間は個性に溢れる存在になりそうだが、大事な精神的支柱が共通しているので、理解し合えるだろう。これに対して、鋳型式の場合には、非常に精密に形を強制できるだろう。もちろん、同じ鋳型で育った者同士は理解しあえることだろう。そして没個性的だろう。

恐らく、伝統的にか、あるいは、哲学の特定の学派では、樹氷式を貴いと見なしているだろう。そういう価値観だろう。私もそう感じる。感じるが今後の論理展開に依っては翻る可能性を否定しない。

店員が釣り銭を誤魔化さない理由として、見つかったら風評被害や様々なトラブルに会うからということなら、鋳型式の考え方であり、下劣な道徳観ということになる。樹氷式による場合、他者に誠実であることを美徳としているなどの場合に、それが誤魔化すことをさせないということになるだろうか。樹氷式の場合にもいろいろな指針が考えられるから、いろいろなケースがありうる。

鋳型式の場合、ペナルティが課せられない類の事柄や分野に関してはお手上げであり、行動を規制する術が無いのである。だから、例えば、テレパシーや千里眼が無い社会では、嘘をつき放題になる可能性がある。また科学的な知識や技術が発達していない社会なら、犯罪の多くが完全犯罪になるだろう。このことが、鋳型式よりも樹氷式を貴く価値があると感じる理由だろうと思う。

もし、テレパシーと千里眼が発達しており、科学的な知識と技術が発達している社会であれば、鋳型式が劣るということはないかもしれない。むしろ、先に述べたように、人間の人格を精密に造形できるのではないだろうか?樹氷式は劣ることはあっても勝ることがないように見える。

但し、鋳型式の場合でも、そもそも、その鋳型が正しいと決めたのは何故だっけ?という問いを発することができれば判るように、何らかのガイドラインが無いことには、理想的で美しい鋳型を決めることが難しいだろう。

だから成長過程にある個人から観て、ということに限定して言うなら、樹氷式と鋳型式に分類することが自然なのではないか。教育過程を考えなければならない賢者に取っては、樹氷式と鋳型式に分類することが適切とは限らないだろう。また、樹氷式と鋳型式は補完しあう場合もあるだろう。

さて、完全な鋳型式が嫌いな理由を説明したい。ソフトウェア開発で言うなら、ユニットテストのことである。テスト用のプログラムから作成し、その後に目的のプログラムを作成するという手法である。目的のプログラムは常にテストされるのである。プログラムの修正を行う度にテストプログラムにかけられるので、バグが新たに入り込む余地が無いことになっている。保守しやすい手法といえる。これはこれで良いのだが、人間の場合には、どうなることだろうか?成長過程で、あらゆる失敗をして、その度にペナルティを課せられる為、正しい行動規範が心に刻まれるだろう。しかしそれは有刺鉄線のリングで闘うようなもので、棘が刺さって痛い思いをするということに例えられるのである。つまり恐怖でいっぱいなのである。いつ棘に触れるかわからないからである。いじめられっ子の精神状態になるのではないだろうか?そして、大人になった後は、子供や後輩達を虐待するようになるだろう。

今、日本は鋳型式が流行しているように思う。それは特に九州の北部ではそういう傾向があるだろう。またそれが日本全体に普及してしまっているのではないかと危惧している。

また、鋳型式で人格が完成している人間と樹氷式で人格が完成している人間は大きな違いがあることだろう。特に鋳型式の人間が、大勢が樹氷式の社会にやってくると、「こいつら、甘い!いくらでも入れる!やり放題だ!」みたいに思うことだろう。樹氷式大勢の社会ではペナルティというかセキュリティが甘いからである。アマちゃんばかりの社会にやってきて大将になってしまうのではないかな。

ところで、私は未だ人格が完成するに至っていない。だから樹氷式と鋳型式のハイブリッドである。それは宗教をやったことと、九州の鋳型社会に居たことが原因となっている。それにもともとだらしない癖が治っていないということもある。だから、自分を規制するということについて、関心があるのである。どうやって自律を維持したら良いのかと。

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